【子育て】母が突如蒸発、そのとき子供は・・・
「親の心、子知らず」とは言いますが、
私は、「子の心、親知らず」もあると思います。
子供は親が考えてるよりも、ずっとずっと理解しています。
私がそうだったように。
私は、「子の心、親知らず」もあると思います。
子供は親が考えてるよりも、ずっとずっと理解しています。
私がそうだったように。
その日は突然訪れます。
それは私が小学2年生の時です。
そして、私の母は幼少期に突如として私たち姉弟の前からいなくなりました。
その日は、いつもと変わらない朝でした。
私たち姉弟は、いつもの通り母に起こされ、
母の作った朝ご飯を食べ、
そして母に「行ってきまーす」と言って学校に向かいました。
私は、学校が終わり、いつも通り家へ向かいました。
そして、いつも通り玄関を開けて「ただいまー」と帰ってきました。
いつもなら、母が「おかえりー」と明るく迎えてくれるはずが、
何の返事もない・・・。
私は、母の悪戯かと思いました。
なぜなら、私の母は、いつも明るく、よく私たち姉弟に悪戯を仕掛けてきました。
そんな母だったので、正直どっかに隠れてるんだと思っていました。
ある日、玄関を開けると母が正座にパンチパーマでお出迎えしてくれました。
もちろん爆笑しました。
そんな、おちゃめな一面のある母親は、私たち姉弟をいつも明るく笑わせてくれました。
そんなこともあり、私はそれほど広くない日中をくまなく探しました。
いるはずのない場所もです・・・もちろん母の姿はどこにもありません・・・。
私は待ちました。買い物かもしれない。
姉が帰ってきて、暗くなるまで姉と一緒に待ちました。。。
いくら時間が過ぎても母は帰ってきませんでした。
次の日も、その次の日も・・・。
それについて父は何も語りません。。
私たち姉弟は、何も言わなくても理解していました。
姉も母については何も言いません。それは私も同じです。
もう家に母は帰ってこない・・・。
私は、母がいなくその日まで、毎晩父との喧嘩を感じ、見てきました。
優しかった父も次第にお酒に溺れるようになり、
母に暴力、私たち姉弟にも暴力を振るうようになりました。
子供ながらに、親同氏が仲良くないことは理解していましたし、
本当に嫌で嫌で仕方ありませんでした。
親同士の喧嘩が始まると、私の胸に鼓動は高鳴り、子供ながらに「どうすれば両親が仲良くなれるのか」
、「私にできることはないか」を考えたのを今でも鮮明に覚えています。
父が母に暴力を振るう、私は母を守ろうと、その小さな体で母の前に立つ、
父は、私に暴力を振るい、力ずくで排除する。
そんな日々が続いていました。
父の怒鳴り声、母の甲高く怒りに満ちた声、私は、その瞬間が嫌で嫌で仕方なかった。
でも、子供の私には、どうすることも出来ない歯がゆさ、悲しみ、自分の力のなさが嫌いでした。
正直、私は今でも「何故離婚したのか?」を知りません。
ただ、一つ言えることは、子供は親が思っている以上に理解しています。
そして深く、深く傷ついています。
子供にとっては、二人とも大事な両親です。
子供だから理解できないなんて思わないで欲しい。
子供は、耳を澄まし親の会話を聞いています。
子供は、敏感に親の不仲を感じています。
子供は、何とか仲直りできないか心から望んでいます。
子供は、顔で笑って、心で泣いています。
本当に大人なのは、どっちなのでしょうか?
今、不仲な両親へこれだけは忘れないで欲しい。
子供は聞いている、子供は感じていることを忘れないで欲しい。
このような経験は、その後の人間形成にも影響すると思う。
私自身は、少なからず影響があったと思います。
今でも街中で笑顔の家族を見ると「良いなぁ」と思い出します。
やっぱり家族は、仲良しが良いですよね。
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