山中伸弥(ノーベル生理学・医学賞)人生のターニングポイント
ips細胞で一躍時の人となったノーベル賞受賞した山中伸弥氏は、実は非常に苦労され、悩み葛藤し、
一時は酷い鬱(うつ)状態にあったそうです。
一時は酷い鬱(うつ)状態にあったそうです。
そんな山中先生がノーベール賞を受賞するターニングポイントを紹介。
苦悩の日々を乗り越えたあるキッカケ
を今回ブログへ書きたいと思います。皆様の人生におけるヒントになればと思っております。
■当時の山中先生の悩み
当時の山中氏は、自分の研究テーマがコロコロ変わっていた事に対し悩みをもっていた。
というのも、当時の医学界では、研究テーマの一貫性も評価されていた。
つまりは、同じテーマを継続して研究することを評価対象にしていた。
■当時の山中先生が感じていたこと
1996年34歳でアメリカでの研究生活を終え帰国した。
当時山中に与えられた仕事は、実験用マウスの世話だった。
「自分は研究者なのか、それともネズミの飼育係なのか?」
というのも、アメリカには飼育専用の人員がいて、
その人間がネズミの世話を行い、研究者は研究に集中できる環境があった。
つまりは、アメリカの研究環境と日本の研究環境へのギャップにも苦しめられていたのだ。
■当時の山中先生の研究テーマについて
最初の論文は、血圧に関する論文で、当初はipsとは全く関係ない研究を行っていた。
血圧→動脈硬化→ガンというように、日本医学会の常識では考えられない、
研究テーマをコロコロ変えていたのだ。
研究テーマがコロコロ変わるっていた山中氏は、
自分自身が日本医学会にどう評価されるのか不安を感じていた。
■そして鬱(うつ)状態に・・・
山中氏は、同じテーマを長くやることが研究者の勲章という考え方が日本にはあるように感じていた。
そう考えると研究テーマがコロコロ変わている自分が日本医学会にどのように評価されるか不安でしかたなかった。
その結果、段々朝が起きれなくなり、その状態を見た奥様は、
「そんなに辛いのであれば辞めても良いんじゃない?」
という程の状態であった。
■そんな時、たまたま訪れた講演会で・・・運命が変わる
この日、山中氏は、とある講演会に出席していた。
最前れるに陣取り、その方の講演を熱心に聞き入りっていた。
その講演者というのが、
1987年日本初のノーベル生理学・医学賞を受賞した「利根川進先生」。
講演が終わり質疑応答でした質問が、
「人生を変えたターニングポイントだった」と山中氏本人が言う。
■実際の山中氏と利根川氏の講演会でのやり取り
山中 「日本で研究者を評価するときに研究テーマの一貫性が評価の一つになっていると思うんですけど・・・」
利根川「え、何?研究者が何?よく聞こえなかった」
山中 「研究者を評価するときに、その人の研究テーマの一貫性・・・」
利根川「一貫性?」
山中 「はい・・・」
利根川「一貫性?一貫性があった方が良い訳?」
山中 「という評価がある気もすると思うのですけど、それについて先生がどうお考えか聞かせていただきたい」
利根川「僕は、別に持続性なんかなくたって良いと思います。面白いことを科学者はやるべきであって、僕は、割りと飽きるたちですから、同じテーマを一生やるなんて考えられない」
■山中氏を変えた言葉(ターニングポイント)とは
この言葉を聞いた山中氏は、
「研究のテーマの一貫性は気にすることはない」
「自分が面白いことをすれば良いんだ」
と頭の中や心のモヤモヤがはれたそうです。
当時の事を思い出しながら山中氏はこう言った。
「本当に救われた非常に私にとって、ありがたいお言葉でした」
一貫性に囚われず、面白いことをやる!
■この言葉を聞いて・・・
この僅か4年後、山中氏は、ヒトのips細胞を作製を生み出した。
講演会から9年で利根川氏以来の日本で二人目のノーベル生理学・医学賞を受賞したのだ。
■当時を利根川氏はこう語る
現在、利根川氏はアメリカのマサチューセッツ工科大学で研究を続けている。
当時のことを利根川氏に伺うと、
「何かおもろい質問する人がいるなと思って覚えています」
「僕にとっては、何も特別なことを言ったつもりは全然ない」
■現在の利根川氏の研究テーマは・・・
そんな利根川氏は現在76歳。
今の研修テーマは、ノーベル賞を受賞した免疫学ではなく、脳の研究という新たな分野に挑んでいる。
利根川氏は言う。
「免疫は、もういいや。うわぁやっぱり脳はおもろいなぁ」
■最後に・・・
私は、思います。
世の中や業界の常識に囚われることなく、自分が面白いと思ったことを追い求める。
その情熱と真っすぐな気持ちが二人にノーベル賞をもたらした。それも利根川氏と同じノーベル生理学・医学賞だった。これを偶然と言うには、あまりにも短絡すぎると思えて仕方ありません。「好きこそ物の上手なり」という言葉がありますが、正にそれを体現したのではないでしょうか。
これは一般社会にも言えることだと私は思います。
嫌な仕事を無理して鬱(いつ)になりながら続けるよりも、自分の好きな仕事に情熱をぶつけた方が良い結果がついてくるのではないでしょうか?
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